歩くことを避けるほど歩けなくなる
morogram
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写真の価値はいったい何で決まるのか?
画質?解像度?被写体?どれでもない・・・。
写真の価値は、それを大切にしたいと思う人の想いで変わってくる。
親が撮ってくれた自分の写真の価値は、いつしか自分が親になった時にその価値に気付くもの・・・。
自分にカメラを向けてシャッターを切ってくれた親が、何を思い、何を感じて、写真に残したいと思ったのか?その感情や気持ちに価値が生まれる。
写真がキレイだとか画質が良いとかではなく、何をその時残したいと思ってくれたのか。
撮る人と撮られる人の距離や関係性など、カメラの後ろ側に構える想いが、光とともにフィルムやセンサーに焼き付けられる。
結局のところ、写真を撮ることは生きることに繋がっている。ファインダーを覗いてシャッターを切る。そこに写るのは撮る人がこれまでどう生きてきたか。そして、これからどう生きていくのかに他ならない。
どのくらいの時間をかけてどこで何を学んだか。
人生で何を考えて吸収してきたか。
そこまで写るのが、写真だったりする。
誰にでも経験があると思うけれど、何となく人生を無駄に過ごしてきたというちょっとした後悔。だがしかし、写真を撮るためには多くの無駄な経験が役に立つ。
ひたすら空を撮ってみる。
それだけでも多くの気付きがあるように。
写真を撮るのがうまいことと、良い写真が撮れることは全く違う。
写真は、そもそも上手いとか下手とかで価値が決まるものではない。
この本を読み終わるころには、きっと多くの人が写真を撮りたくなっていることでしょう。
さぁ、ポケットにカメラをいれて・・・何を撮ろうか。
「ポケットをカメラにいれて、ポプラ社、幡野広志」